SCHWINN シュウィン
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HISTORY

1895年10月22日、シカゴにおいて「Arnold,Schwinn & Company」がイグナズ・シュウインとアドルフ・アーノルドによって設立されました。

「ロードスター」シングルスピード、重量19ポンド(約8.6kg)。

機関車と一緒に走った男….マイル・ア・ミニッツ マーフィー。
想像してください・・・1899年に時速約100kmで走る人間を。

自転車は裕福なお金持ちのための市場です。レーシング自転車の価格は$150(現在の価格に換算すると約340万円)もしました。ローン返済などの支払い回数は現実とは程遠いものでした。

自転車製造は最先端技術であり、当時の機械加工と冶金テクノロジーのもっとも進んだ場でした。

シュウイン夫妻に子供が誕生しました。名前はフランク・・・後にスプリンガーフォークを開発します。

イグナズ・シュウインはパートナーのアドルフ・アーノルドより株を買い取り「Arnold,Schwinn & Company」の単独オーナーになりました。

T型フォードなどの低価格な自動車の誕生により、大人たちは自転車への興味を失い始めました。

製造技術の進歩は低価格化をうながし、子供用自転車の製造が可能になりました。新しいマーケットの誕生です。子供たちの酷使に耐えるタフな自転車を開発しました。

シュウインは「Henderson Motor Cycle Company」を買収。

シュウインは品質とデザインを改良するため、自転車とオートバイ技術者よりなる新しいセクションを創設しました。シュウインの作るものが自転車産業の標準規格となりました。

「Arnold,Schwinn & Company」は1933年春に自転車用26X2.125インチのバルーンタイヤを発表し、そして2年後には自転車業界の規格になりました。1995年5月号の「バイクマガジン」誌はあらためて「イグナズ シュウインのバルーンタイヤはマウンテンバイクテクノロジで最大の革新」と紹介しています。

シュウインは自転車盗難に対する「最終的な解決」として自転車錠「サイクルロック」を導入しました。
もっとも彼らが90年代のニューヨークを頭に描いて作ったとは思えませんが…
「オート サイクル」デラックスを発表。
バルーンタイヤ、シュウイン フルフローティング サドルとシートポスト、そしてツウィンヘッドライトとスピードメーター装備。
レース用自転車を製作。フランス人レーサーのAlfred Letournerは、ギア比9.5:1(通常は2.5:1)の超特大のスプロケットを装備したこのレース用自転車パラマウントで時速108.92マイル(約174.3km)を記録しました。
内蔵型キックスタンドや新型のドロップアウトが戦時中に開発されましたが、平和が訪れた時期のバイクとしてあらためてそれらを改良しました。
シュウインは「指定販売店ネットワーク」をスタートさせ、純正部品とアクセサリーを充実させました。
ハリウッド「黄金時代」のボブ ホープ、ビング クロスビー、ロナルド レーガン(後に大統領)など、すべてのスターが「シュウイン」を選ぶ!
もう自転車だけではありません。フィットネスに流行の兆しを見て取ったシュウインは家庭用のフィットネスマシンを送り出しました。
人気タレント、キャプテン カンガルー "シュウインバイクは最高だ〜 !!!"
1967年1月1日、「Arnold,Schwinn & Company」は「Schwinn Bicycle Company」と社名を変更しました。
BMX熱が頂点に達しました。
「エアーダイン」ステーショナリ バイクを発売。
会社をシカゴから、コロラドのボウルダーに移転。
大改革を行ったシュウィン社の「Moab S」がマウンテンバイクマガジンの「ベスト オブ ショー」に選ばれました。
シュウイン社はフィットネス機器製造30周年を祝いました。
粗末なものであった初期のサイクリングマシンも、高度な最先端コンピュータ技術と電磁抵抗を備えたものになりました。

60年代から70年代前半に爆発的に流行した「スティング レイ」と「クレイト」をリバイバル生産しました。昔を懐かしむ全米のファンが歓喜の声をあげました。

トレーニングマシンの代表的な製造会社の「Hebb Industries」を買収。精力的な開発をし、8種類の高級トレーニングマシンを発表。

パシフィックサイクルは9月11日、「シュウイン」を買収。本拠地をシュウイン発祥の地シカゴに移し、107年間続いてきたシュウィン・ブランドと「世界のライフスタイル・マーチャント」としてのゆるぎない地位はこれからも引き継がれてゆきます。
30年以上の時を経て、オリジナルスティングレーの魂を引き継いで、「スティングレイ」が、超クールな装いで帰ってきました。そして、このすみずみまでアメリカの香りいっぱいの「スティングレイ」は、世界中で最も良く売れているバイクとなりました。

全米に300有余の自転車製造会社があり、シカゴにはその内の101社がひしめき合っていました。
シュウインは他社との競争を開始し、そして早くもその年の終わりには競争にうち勝ち、頂点に立ったのです。

1896年、「アーノルド、シュウイン」社の自転車価格は$100から$125までで、重量は19ポンド(約8.6kg)から24ポンド(約10.8kg)で構成しています。

6日間レースが大流行しました。ボードトラックがいたるところに作られ、自転車レーシングクラブは「持てるアメリカ人」としての表現手段でした。

19世紀から20世紀への変わり目。二種類の特許事務所があり、その一つは自転車技術専門、そしてもう一つは・・・それ以外のために。それほどまでに自転車産業は盛んだったのです。

サイクリストたちが家から遠くのあちこちを探索するためにロードマップが活用されるようになりました。

Wow・・・若いカップルが両親の目が光る玄関先からやっと開放されたのです!!!

シュウインは「Excelsior Motor Cycle Company」を買収。

フェンダーの誕生は1920年代テクノロジーの功績です。しかし販売結果は芳しいものではありませんでした。

「大恐慌」によりほとんどの自転車会社は廃業してしまいましたが、そのなかにあってシュウインは果敢にも会社の規模を増大させ、積極的に新製品の開発に取り組みました。

「シュウイン エアロサイクル」は飛行機、流線型の自動車、オートバイなどに類似するスタイルです。
この新しい空力スタイルは、30年代や40年代だけでなく、さらにその先の50年代の傾向までも取り込んでいました。
シュウインは"前輪ブレーキ"、"カンチレバーフレーム"および"スプリンガーフォーク"を導入しました。
このスタイルは現代のオフロードバイクの「祖父」です。
配送用自転車「サイクル トラック」は1940年から1960年代半ばまで製造されました。
そして現在でもまだ使用されつづけています。
第二次世界大戦で軍事用製品の製造を手がけました。それらはトップシークレットの電気装置、砲弾、弾薬、航空機部品および多数の戦時関連の製品を含んでいました。 その品質の良さに陸軍と海軍は"E"賞をシュウインに授与しました。
バルーンタイヤシリーズの最高級車として「ブラック ファントム」が発売されました。組み込まれた部品は最高級車にふさわしいクロームメッキのフェンダー、タンク、サイドウォールが白のタイヤ、ヘッドライトとテールライト、スプリンガーフォーク、デラックスサドルなどが選ばれていました。これこそ、すべての少年が夢にしていた自転車だったのです。
「バーシティ」8スピードバイクと「コンチネンタル」10スピードバイクを投入。「バーシティ」はツーリングバイクというカテゴリーをアメリカに広めました。
シュウインは「スティング レイ」を発表。それはハイライズハンドルバー、バナナシート、スティックシフトバー、そしてレーシングスリックタイヤを装備した、いかしたスタイルのマシンでした。「スティングレイ」は1980年代のBMXの父ともなるマシンです。
「シュウイン」社は「スティング レイ クレイト」を発表。1968〜1970年に100万台以上が販売され、マッスルカー時代のこの自転車は、アメリカ的な現象そのものでした。
マウンテンバイクへの大きな流れが始まりました。
しかしシュウイン経営陣は「単なる流行」と感じてしまったのです。大失敗!!!
QUESTA 投資グループがシュウィンを買収。 理念と技術は引き継がれました。
ハイテク軽量マウンテンバイクである「ホームグローン」シリーズの生産を米国に戻しました。
極秘技術が盛りだくさんの「ストレート 6」ダウンヒル バイクを発売。
フルサスペンション のマウンテンバイク、「4 バンガー」を発売。
"得られるものの中で最高" と「マウンテンバイク」誌は絶賛。

古くからのライバルであったシュウインとGTバイシクルが合併しシュウイン/GT社となる。SPD互換の自転車シューズの競争が激化しました。

シュウインはフィットネスアドバイザーシステムを取り入れました。対話的データネットワークは、ヘルスクラブメンバーにカスタマイズされた練習方法と練習の成果を絶え間なく提供します。錆びついたダンベルを持ち上げたり、大きな声で掛け声をかけるのはもう終わりです。

ドレル インダストリーがパシフィック サイクルを買収。 さらなる企業の安定性とシュウィン ブランドの世界的な存在感をもたらされました。
自転車の原点に戻ったシングルスピードロードバイク「マディソン」を発表。「シンプルに生きよう」というスローガンのもと、世界的なヒットモデルとなりました。
Then,still,the glory continues・・・
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